5.これこそ「登校」、ブータンに肥満児はいない
ルンチのゲストハウスで一夜を過ごした私は、実にすがすがしい朝を迎え、外に出て高台からの景色を眺めていた。谷を挟んで向かい側の山の尾根付近には20軒ほどの集落が見え、「なんであんな高いところに家を建てるんだろう・・」、とネパールでも考えたように同じことを思っていた。そして、双眼鏡を取り出して集落の付近をみると・・・、おや・・。子供達の20人くらいの集団がつづら折りの杣道を降りてくるのが見えた。学校は谷を挟んで私のいるゲストハウスのさらに上にある。 「う〜ん、これは大変だ。こんな山坂を毎日学校に通うなんて。うちの娘なら一発で登校拒否だな・・・」、と思いつつ、通学模様をずっと観察していた。 これが実に楽しく、懐かしく、嬉しい光景だった。みんな決して一定の速度で歩くことはない。走り降りたり、脇道にそれて木を折ってみたり、途中の家ではそこの子供に声をかけて、一緒に通学する。そうやってみんなが学校に来るように指導しているのだろう。 思えば自分の子供のころもそうだった。台風や猛吹雪の時には、体育館に集まって住区ごとの「集団下校」というのもあった。登校時に遊びすぎて、学校に着いたら泥だらけだったこともあった。当時はやはり学校途中で友達の家に寄り一緒に登校したが、そのときは「呼び鈴」ではなく、「○○ちゃ〜ん、ガッコ行こ〜」、と皆で叫んで呼び出したものだ。 そしてブータンでは現在も、そんな30年以上前の我が姿を見ることができる。 ただ、この距離と高低差は尋常ではない。聞くと毎日登校に1時間かかるそうである。帰りは登り道が多いのだから、1時間半はかかるだろう。どうりでブータンには肥満児がほとんどいない。金持ちの子弟でも、送り迎えなどないのだ。とにかく車の通れる道が極めて限られているのだから・・。 それにしても、そんな「過酷」な通学路を登校する子供達には「辛さ」のかけらも見受けられない。高校生のお姉さんが小学校低学年の弟や妹あるいは近所の子を連れ、ランチジャーと大きなリュック、リュックに刺した傘、キャラバンシューズ、といった出で立ちで黙々と学校へと登っていく。まさに「登校」だ。 ああ、なつかしいな、我が小学生時代・・。ブータンの通学風景。実に心温まる。今回我々が計画する農道を、この子供達が愉快に通学する姿を思い描きながら、温かい計画を立てたいものだ。 向かいの山の尾根付近にある集落から、つづら折りの小径を小学生、中学生が20人くらいの集団で歩き降りてくる。双眼鏡で観察する限り、彼らは直線的に「近道」を行く。親や兄弟から教わった、あるいは自分たちで開拓した通学路を、決して急ぐことなく、じゃれながら、道草をしながら通学する。
写真左:向かいの山から下りてきて、こちらの山の上にある学校に向かう子供達。ランチジャーをぶら下げて背中にリュックを背負っている子が多い。子供でも、女の子はキラ、男の子はゴを来て通学する。 写真右:歩いて通えないほど遠くの子供達は政府が「トラック通学」のために車両を提供している。このトラックは電力局のもの。一体何人乗っているんだか・・。 2002年5月1日 |