28.もう一つのモンガルから ここモンガルに滞在するようになって早や半年が過ぎた。途中、一時帰国したものの、大半の時間をここモンガルで過ごしている。そして、時間があると、ゲストハウスの庭の角(そこはちょうど擁壁の上の一番高いところにありモンガルの町を見下ろせる)に立って対岸の山のなだらかな斜面に点在する集落と農地、そしてその村へのアクセス道路を眺めていた。村の名前はタックチューという。見るからに、のんびりとしたいい村なのだ。「いつか行ってみたい・・」と思いつつ、なかなか行けずにいたのだが、昨日(日曜日)にやっと行くことができた。今週から始める新たな農家調査のために作った質問票のトライアルを兼ねて、アシスタントのラジェシュ氏と、土地勘のあるゲストハウスのマネージャー、ケザン氏(萩原流行)に同行をお願いした。
ゲストハウスから見るタックチューの村。中央やや左側にアクセスの小径が見える。モンガルとの間には深い沢がある。ゲストハウスは標高1680m、小径の終点が1600m、沢の最も深い位置にある吊り橋が標高1320m。歩いて片道1時間半ほどで行ける。 あさ7時、ケザン氏の作ったおにぎりを持ってゲストハウスを出発。途中でラジェシュ氏の宿舎に寄って、3人で沢に向かって降り始めた。ところが、「道を知っている」とばかり思っていたケザン氏は、会う人会う人に「道を尋ねて」いる。(あれぇ?、道知ってるんじゃなかったのかなぁ・・・) 進み降りるうちに、我々はどうも変な道を歩いていることに気づく。やっと馬を引いた老人の案内で藪の中を抜けて「正しい道」までたどり着き、沢に架かった吊り橋に着いた頃には1時間が過ぎていた。
左写真:谷の底をわたる吊り橋。長さは70mくらい。ゲストハウスより下ること360m。 右写真:ゲストハウスの庭から望むタックチュー村。手前の洗濯物は私のですな・・・。 さぁて、あとは一気に登るだけ。約30分ほどで急な小径を登り切ったが、えらくバテテしまった。小径の一番上にはチョルテン(仏塔)があって、経文の旗が10本ほど立っている。そしてそのあたりから水田が広がっている。村に入って最初の家で、我々はインタビューをした。質問票の試行と改善が今回のタックチュー訪問の目的の一つでもある。その家のご主人は約65才。奥さんは盲人だった。ただ、ここのご主人、私たちが訊くことはすべて奥さんに訊く。自分の年齢さえも・・。わずか10個の質問に応えてもらうのに、たっぷり1時間かかってしまった。
写真左:盲目の奥さんは家畜の餌にする葉っぱを包丁で切って煮ていた。包丁さばきは確かなものだった。 写真右:インタビューに答えるご主人(中央)。なんとここではブータンの標準語「ゾンカ」は通じない。アシスタントのラジェシュ氏の質問をケザン氏(背中)が翻訳して質問する。非常に時間がかかる。 その後、3軒の農家にインタビューをした。質問事項は、農作業や家事の分担、寄り合いへの参加、決定権を持つのは誰か? など様々・・。そして最後に、「いま、あなたは幸せですか?」。子供には、「誰を尊敬していますか?」、「将来、職業ではなにになりたいですか?」、「今一番ほしいものは何ですか?」、と3つの質問をした。「幸せです」と答えた人2人、「満足していない」と答えた人2人。前者の理由は「この村に生まれ育って幸せだ」、後者の理由は「家を建てるための借金返済」、「子供が病気がちだが病院が遠い」、「子供の教育費が嵩み、学校に行かせられない」、などである。男の子が将来なりたいものは「坊主」が多 かった。小学校の近くに住みながら学校に通っていない10才の女の子が将来なりたいものは、なんと「学校の先生」だった。欲しいものは男女ともに「服、靴」など。尊敬するのは「お母さん」が多かった。また、意外なことに、「目と鼻の先」のモンガルまで出ていく頻度は「年に2〜3回程度」というのがほとんど。もっと行くのかと思ったが、そうでもないのだ。
そばの花が咲き、冬小麦が植えられ、牛がいて、豚がいて、鶏がいて、馬がそこいらで草を食む。地元(モンガル)のケザン氏ですら、「よそ者だから、県事務所からのレターを持参しないと・・」というほど、ブータンの田舎村は「外部の人間の侵入に対する警戒心が強い」。だが、一旦入ってみると人々は実に明るく、屈託なく、人なつっこい。 モンガルに戻った私は、早速撮影した写真を印刷し、翌日の今日、タックチューから踊りの練習に来ていた「歌踊り少女隊」の女の子にその写真を託した。本当は届けたかったのだが、ゲストハウスのケザン氏は客が多くて忙しいし、ラジェシュ氏は慣れない山行きのためか肉離れでしばらく休養が必要なのだ。やはりよそ者、しかも外国人の私が一人で行くことはできない。 内業が多く、現場に出ることのできない日々はつらい。長く「行きたい行きたい」と思っていたところに実際に行ってみて、それまで想像していたもの、見るこのできなかった「陰の部分」、「人々の暮らし」・・。村にはレモングラス油の蒸留器があちらこちらにあり、なんと灌漑水路まであった。朝から焼酎を飲んで酔っぱらっている主婦もいた。 「飛行機に乗ったことのない」子供の時分に、「飛行機に乗る夢」を何度も見たが、いつも乗る寸前で夢は終わってしまった。経験のないことの夢は見られないそうである。 私がここに来て以来、ずっと「行きたいなぁ」と思いつつ、「実物を見ながら」も想像たくましくうかがっていたタックチュー村の様子は、その中に入ってみるとずいぶんと違ったものだった。そして、「タックチュー村訪問のもう一つの目的」だった「対岸からモンガルの町並み拝見」は、それが思ったよりも雑然として、お世辞にも「美しい景色」とは言えなかったのである。モンガルから映したタックチューの写真では、タックチューの美しさ ばかりが目に灼き付いたが、タックチューからモンガルを映した写真では、タックチューの緩やかな麦畑と、灌漑水に溢れる棚田、経文たなびく丘などが際だち、遠くのモンガルは文字通りかすんで見えた。村人が年に2〜3回しかモンガルに行かない理由がわかったような気がした。
麦畑にて。後方に見えるのがモンガルの町。
村を訪れたときの「小躍りしたくなる」ような興奮。犬小屋を大きくしたような便所、トウモロコシを干した貯蔵庫、ひき臼に残ったトウモロコシの粉を食べる犬、小麦畑の脇を流れる灌漑水路で水浴びをする子供達、クルミを割って食べ、焼酎を飲みながら井戸端会議に余念がない主婦達。その脇で子守をする父親。玄関には魔よけの「サボテン」と「玉子の殻」がかけてあり、服は窓の桟にかけている。 モンガルから見ている限り想像できなかった、人々の暮らしを目の当たりにして、「夢が現実になった」、ような感覚だった。 考えてみれば、私たちの仕事はこの「夢と現実」の関係に似たようなものかもしれない。目の前にあるその国の問題点やニーズを見ているようではあるけれど、そしてそれに基づいて「最適計画案」を立てているようではあるけれど、それは時に「夢を見ながら」立てた計画のようなものかもしれない。「遠くから見るもの」は夢と同じで、経験のないことは決して見えない。しかし、一見よく見えるものも、「陰にある悪いもの」や「ちょっと見では見えなかった良いもの」から成り立っていることもあるし、それを知らなければ本当の良さやニーズは掴めないのではないか。
タックチュー村から、「ほんの1時間半」歩いてモンガルに戻ってきた私は、ゲストハウスの庭の端に立ち、改めてタックチュー村をじっくりと眺めてみた。全く違って見えた。 自分の歩いた小径、訪ねた農家の位置、空き家の場所、木影でおにぎりを食べた大きなクルミの木、酔っぱらい主婦の家・・・。いまも相変わらずタックチューの村は美しい。しかし、先日までとは違い、その美しさの陰にあるもの、些細な構成員たちを知って、私は違う目で今タックチュー村を見ている。 そして心の中では、対岸からは見えない人々の暮らしや、些細な情景がしっかりと見えているのだ。
2002年10月21日 | |
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