ただいま出張中 


33.ルンチにて

22日、会議のためにルンチを訪れた。会議の一つの目的は、調査対象郡としているガンズール郡のスタッフと、計画について話し合いを持つことだった。我々の作った素案について、郡、県、農業省のそれぞれの担当者が自分たちの役割について話し合い、確認する、いわゆる「アクションプラン」の確認作業である。

しかし、困ったことに10月から11月にかけて、ブータン初のシステマティックな郡長選挙が行われ、ルンチ、モンガルとも選挙の結果何人かの新しい郡長さんが誕生した。新しい郡長さんは、我々の調査のことをよく知らないし最初から説明しなくてはいけない。そして、我々が対象としている4郡のうち、ルンチ県のガンズール郡では、まさに新しい郡長となったのだ。この日が初対面ではなかったのだが・・。

風の便りで、「ガンズールの郡長は元坊主でジャン村の出身」、と聞いた。「もしや・・・」と思ったが、果たして会議に見えた新郡長は、あの、元坊さんだった。

「8. 坊さんだって人の子 」で紹介した、あの「するどい」元お坊さん・・・。だいじょうぶかなぁ・・。でも、一生懸命応援していかんといけんのだろうなぁ・・・。ガンズールと言えばルンチの中心郡。だいじょうぶかなぁ・・・・。

 

真ん中が新郡長さん。

 

 

この日、ルンチに向かうとき、いつもの通りタンマチューの吊り橋にさしかかると、橋は下の写真のような状況だった。しかたなく、対岸で待っていた迎えの車でルンチに向かった。

このタンマチューの吊り橋は架け替えの計画を日本がたて、現在実施を待つ段階にあるが、それまで保つかどうか・・。耐荷重8トンのこの橋は、上流で行われている道路工事のための重機やら、ルンチへの生活物資を満載したトラックやらが行き交い、頻繁にオーバーロードで修理を余儀なくされている。それにしても・・。落ちたら一巻の終わり・・。早く何とかして欲しいなぁ・・・。最低でもあと2回はルンチに行かなきゃいけないんだから・・。今週と来週。ルンチで仕事している間に橋落ちちゃったら帰れなくなる。そうなったら、ルンチに住むか・・・。

床版を外して修理(?)中。落ちたら死にますね。それにしても、直るのかね・・・。壊してんじゃないのかね・・。

 

 

 

今回のもう一つのルンチ行きの目的は、試験的に実施した「住民参加型農道建設工事」の終了式・評価会。農道建設には、受益者である農民が無償で労働提供をすることになっているのだが、はたしてそれが本当に適用可能なモデルなのかどうかを検証し、その結果を計画にフィードバックするというのが、この試験工事の目的である。約1ヶ月半、農民は見事に仕事をやってのけた。これには県職員、郡長、知事の強い指導もあったが、いずれにしても農家はきちんと彼らのすべき事をした。

ところが、この日の終了式には実際に工事に参加した農家は数名程度しか来ていなかった。後はほとんどが「無関係」の関係者。県裁判所の判事、病院の医師・・・。そんなのはどうでもよかったのに・・・。その他のアレンジメントは過剰だった。マスクダンスあり、歌踊り少女隊あり。最後は我々も一緒に「タシ・デレ」(最後の締めの歌)を踊ってセレモニーは終わった。終わったあと、郡長に、「今日の会の目的は参加した農民から意見を聞くことだったのに、どうして呼んでくれなかったの? そのために食事も用意したのに・・」、と質したところ、郡長は次のように答えた。

「この工事はまだ終わってない。工事を始める前には郡の開発委員会会議を開き、各村がどれだけの労働提供をするか話し合ったんだよ。でね、もし、今日私が農民を呼んだら、彼らは今日も1日にカウントする。40人が食事をするためだけに来て、工事は進まず・・。それで、40人日の労働力を無駄にすることになるんだよ」、と・・・。

コミュニケーションの問題があったかも知れないが、至極もっともな理由である。それなら昼飯を出すより、農民に日当を出して来てもらうだけではるかによかったかも知れない。自分達が考えていた以上に彼らはしっかりとしたシステムをもって対応していたのだ。

とても可愛らしい歌踊り少女隊の踊り、村人のマスクダンス、来賓の挨拶・・・・。これらを見、聞き、拍手で讃えながら、実は非常に虚しい思いだった。10年以上もこうした仕事をやっていて、いま自分のやっていること(儀式)がいかに無駄で意味のないことだったか・・。「予算が思ったよりかかったので何とかしてほしい・・・」、と県のカウンターパートに言われた。報告書のとりまとめでくそ忙しい団員と自分の時間を無駄にした。関係ない人の時間も無駄にした。目的である農家の意見聴取はたった6人にとどまった。調査票を郡長に託した。帰り際に、橋のたもとで「22. 夜這いはすれど・・」で紹介した、我々を見送ってくれた元事務員の母親に会った。降りていって握手した。この日唯一の収穫だった。

2002年11月24日

 

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