ただいま出張中 


1.5年ぶりの東チモール第一印象

東チモールより、第1報をお知らせします。

昨日、予定通り無事ディリに入りました。
空港から、ディリ市内に入り、まずはホテルにチェックイン。
デンパサールからのムルパティ航空のエクセスは2.1米ドル/kgでした。
一緒にディリに入ったNNAのK女史も、ビザなしでもすんなり「入国?」できました。
税関も我々はノーチェックでした。

ホテルは「Hotel Dili 2000」といい、Diliでも最も新しいホテルの一つです。2階建て一軒家でコンテナ・ハウスではありません。
窓のない広い部屋。部屋にはトイレとシャワー(温水)、エアコン、テレビ(BBCとオーストラリア放送のみ)が付いています。
なんと一泊95ドル(朝食込み)ですが、長期滞在ということで我々は80ドル程度にしてもらえそうです。
選択の余地がないので仕方ありませんが、納得できません。高すぎます。経営者はシンガポール人(華僑)です。
洗濯物はランドリーバッグ一袋6米ドル、二袋なら10米ドルです。

ホテルの食事は焼きそば(Mie Goreng)、チャーハン(Nasi Goreng)が7豪ドル(約450円)、「誰が食うか!」といった感じです。
しかし、やはり他に選択の余地がありません。屋台などもほとんどありません。
住所、電話、ファックス番号は下記署名の通りです。
VISAあるいはMasterカードでの支払いが可能です。

Diliにはオーストラリアとポルトガルの銀行が支店を出しています。TCの両替ができるそうです。手数料はオーストラリア銀行の方が割安とのことです。私たちはキャッシュで持参し、JICAの金庫に預けることにしました。ホテルにsafety boxはありません。

本日早速携帯電話を買いました。NOKIA製が180米ドルくらいと非常に高いです。ここで買えるだけましか・・・。
電話はプリペイド・カードを利用します。ディリ市内のTelstra(豪電話会社)で購入可能です。ただし、Simカードは電話屋で購入します。
ディリの携帯電話はオーストラリアのダーウィン市内と同じ扱い(衛星利用)ですから、日本からかける場合は、001-61・・とオーストラリアの国番号を使用します。一方、地上回線電話は、東チモールの国番号670から始まりますので、001-670-・・・となります。
携帯の電話番号と、地上回線の電話番号とでは桁数が違いますので注意が必要です。
携帯電話は日本のcdma oneと同規格です。日本で最近売り出された端末を使えば、日本の電話番号で接続できますが、「べらぼうに高い電話料金」(1分数百円)となります。

時差はありません。日本と同じ時間帯です。就業時間も日本と同じです。9時〜5時の週休二日です。
私たち(コンサル2名)は来週か再来週あたり、UNTAETの農業部隊が別オフィスに引っ越す際に、他の日本人専門家2名とともに同室に入る予定です。それまではホテルで作業をします。

こちらから日本への荷物発送は可能です。
日本からの郵便物も届くようです。
税関も法律も未整備ですから、よほど変な物を送らない限り、届かないことはないと思います。時間はかかると思いますが・・。

貨幣はインドネシア・ルピアと豪ドルと米ドルが全く混在して流通しています。
このホテルの併設レストランは豪ドル、ホテルの支払いは米ドルです。町のスーパーでは豪ドル、小さな店ではルピアです。

とにかく物価は高い。
「金を使っているのは外国人のみ」といった感じです。
ホテルから送るFAXは1ページ3米ドルです。受信でも1ページ1米ドルかかります。インターネット接続は1分2米ドルです。
Telstraの事務所では1時間9米ドルだったかな?(いま、Telstraに来て確認しました。Telstraの電話ブースで、パソコン接続ができます。オーストラリアまで1分0.3米ドルです。これがベストですかね。接続もしっかりしているようだし)。

私の場合はi-PASS経由でダーウィンにアクセスしますが、携帯電話なら「市内扱い」(しかし9600bpsと遅い)、地上回線なら「国際電話扱い」で若干高め(だが通信速度は速い)です。携帯電話(NOKIA)はケーブルでパソコンにつなげることができますが、接続がRS232Cで、私のパソコンにはつながりません。
ケーブルはオーストラリアに注文するため2週間待ちで、しかも80万ルピア(1万円以上)します。アホくさ。

インドネシア製品でもインドネシアの1.5〜2.0倍の値段がします。
米など2,500Rp./kg(インドネシアの倍)です。誰が買うのかわかりませんが、明らかに「援助物資」が流れています。
市場には5万ルピアの札束や10万ルピアの札束を持った現地人が「ドルを買うよ」と寄ってきます。

割り切れないのは、我々が「落とす」金はすべて外国人(シンガポール人、オーストラリア人、中国人ほか)および外貨ブローカーに「回収」され、東チモールに残らないのでは・・・?、ということです。明らかに「荒稼ぎ」「食い物に」している輩がいます。
また、「援助国のエゴ」、「自国への利益導入」がまかり通っているように感じます。
ポルトガルは「ポルトガル語教師派遣」をせっせとやっています。
国語は「テトゥン語」、公用語は「ポルトガル語」となっていますが、ポルトガル語は庶民にはほとんど通じません。やはりインドネシア語が主体のようです。せめて公用語は「英語」とすべきではないでしょうか?
いまさら「ポルトガル語」をどうするのでしょうか?

けさ、掃除の女性達にテトゥン語の数字のみ習いました。100万まで数えられるように・・。しかし、彼女たちも人に訊いたりしています。「あれ、普段はテトゥン語じゃないの?」と訊くと、「私たちはインドネシア語よ、25年間もインドネシア語で暮らしてきたのよ」と言っていました。日常会話もインドネシア語が使われているようです。

とにかく、東チモール人の存在感が薄く、UNTAETや援助機関の姿のみ目立ちます。
「主役は誰なのか?」、これが私の受けた印象です。(少なくともDiliでは・・・)
独立決定前の「盛り上がり」はどこに行ったのでしょうか? 独立を叫んだ人々はいま、この状況をどのように感じているのでしょうか? これは追って、地方を回るなかで調べていくことにしましょう。

「インドネシアの存在」は「ルピア」と「インドネシア語」を除けば「無」に近いとも思えます。
「インドネシアが抜けた」ことによって、先進国、国連と「(元インドネシアの最貧州)東チモール」が直に接しています。
東チモール人リーダーにも「インドネシアへの併合後25年間を外国で過ごした人(ノーベル賞受賞者など)」と、「東チモールに留まって闘ってきた人」がいます。そして、その他大部分の人々は、正直言えば、インドネシアの統治下でも未成熟で、「国を興す」にはあまりにも「頼りない」人達です。思うに、東チモールの田舎では、営々と人々の暮らしが続いており、彼らの生活自体はインドネシアでも東チモールでも、そう違いはなく、ただ、スハルトのばらまいた金が今は来なくなって、インフラ、社会サービスの劣化が進み、ボディーブローのように効いてきている、といったところでしょうか・・。

5年ぶりに来た東チモールのほんの半日の印象ですが、この印象が正しいのか間違っているのか、少しずつ見ていきたいと思っています。

 

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