ただいま出張中 


10.対岸のエンジニアを目指せ

10月28日にアップした「国が変われば工事も変わる」について、インドネシアのSSIMP-IIIのS所長(この業界では超有名なプロジェクトの超有名な所長なので「S所長」とすること自体に意味もないのだが・・・)から、

>8.国が変われば工事も変わる
>にて書いてある、
><その取水堰の下流ではインドネシアが灌漑施設建設を行っていて、
>PKFの監視施設付近からその工事風景がよく見えた。0.6m3クラスの
>バックホーと10トンクラスの大型ダンプが3台ほど。インドネシアらしい
>大規模な建設工事である・・・>
>これは、SSIMP-III の残ローンでの工事ですよ。 念のため!

 

とのご指摘をいただいた。実は、10月15日に、西チモールのクパン市に住んでおられるSSIMP-III所長代理のこれまたS氏から、「アタンブア出張後記」というタイトルのメールをいただいた。その中に「国境での案件と東チモール側の様子」が書かれており、私がマリアナに行ったときも「もしかしたら・・」とは思っていたのだが・・。

S所長代理に引用の許可を頂戴したので、以下にそのメールの一部をご紹介しよう。

<以下引用>

先月上旬の国連高等弁務官事務所(UNHCR)アタンブア支所襲撃事件は皆さんの記憶に新しいところだと思います。そのアタンブア(ベル県の県庁所在地)へ先週末、灌漑局職員とともに出張しました。目的は現在実施中のサブプロジェクトの工事進捗確認と雨期を控えて工程の検討です。現在、ベル県で5つの灌漑工事と1つの頭首工詳細設計がSSIMPの資金で実施中です。ここでは事業の詳細は割愛します。

まず最初に感じたのは難民キャンプから難民の数が減っていることです。それとは対照的に軍人(インドネシア正規軍)の数が増えたようです。アタンブアの手前30km付近で検問がありました。政府系の車両(赤ナンバー)でも車内をくまなくチェックされました。アタンブア市内は既に平常の状態に戻っていました。宿泊したのはUNHCRアタンブア支所から約150mほど離れたインタン・ホテルです。このホテルも襲撃事件の際、窓ガラスを割られるなどの被害を受けたそうです。今は、軍の幹部が宿泊しており、最も安全なホテルということでした。 翌日、アタンブアから東へ車で約1時間半、東チモールとの国境付近で実施中の2案件を視察。うち、1件はまさに川を挟んで対岸は東チモール。国連軍の監視小屋が目視できました。工事現場では複数のインドネシア軍兵士が警備していました。

翌々日は、アタンブアから南へ車で約1時間半、べトン(ブシカマ平野)の3案件を視察。べトンから東へ延びる道路の周辺には難民キャンプが点在、まさに難民街道といった感じでした。ここでもインドネシア軍兵士が工事現場を警備していました。

当初計画では5案件のうち、4案件で難民の受入れ(入植)が予定されていましたが、いわゆる農地の配分については現地住民の了解が得られず、実現しそうにありません。ただし、居住地の配分についてはOKが出ていると聞いており、インドネシア国籍を希望する難民の一部はそのまま定住するケースも十分考えられます。また、現在5つの工事現場で約500人の作業員が雇用されていますが、そのうち約半数は難民です。いわゆる「Work for Food」という観点から、SSIMPは間接的に難民を支援しているともいえるでしょう。

聞くところでは、年内を目処に、難民の意向を尊重する形で、難民の最終的な処遇(選択)が決定・実施されるようです。それと合わせて、民兵の武装解除が難民(治安)問題に関する最大の鍵といえるでしょう。

<以上引用>

自分自身が長年従事しているプロジェクトが、開始後10年を過ぎた今でも継続実施され、社会情勢の様々な変化に対応しつつ(また、長くやってきたからこそ柔軟に対応できるのだが・・)、立派な成果を残していること自体がまずは誇りである。 しかし、それよりもなによりも、そのプロジェクトに地道に、しっかりと取り組み成果を上げている対岸のエンジニア(インドネシア人、日本人とも)に敬意を表したい。さらに、そうしたエンジニアが一日も早くこの東チモールで育ち、上に向かって主張・抵抗することのみの悲哀から解放され、自分の足下にじっと目を落とし、農民達と立派なプロジェクトを実施・運営されることを願ってやまない。

 

 

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