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11.したたかに・・・。

Boys be ambitious!

札幌農学校(現北海道大学)のW.S.クラーク博士が札幌を去る際に、学生達に残した言葉である。「大志を抱け!」、「大きな志を持って、己の道を切り開け」ということであろう。一方、別説では、「ambitious」というのは、「まじめでおとなしい学生達に、『もっと野心的になれ』との意味で言われた言葉」という。

札幌の学校を出て、北海道に居たくて札幌の会社に就職した。札幌の女性と結婚して、家も建てた。2人目の娘が生まれた。そして、その途端に海外事業部に配属となった。

その後海外業務に長く従事し、「Boys be ambitious!」の意味がなんとなくわかってきたような気がしていたが、今回の東チモール業務を通じて、そのことを改めて感じた。

Boys be ambitious!、は、「君たち、もっとしたたかになれ!」ということではないか・・・。

東チモールの現政権、つまり国連暫定行政機構(UNTAET)および東チモール暫定行政機構(ETTA)、特に前者は魑魅魍魎の世界である。国連勤務の国際公務員ほか国連ボランティア(UNV)と言われる世界各国からの専門家(修士以上)がこの組織に属し、国の舵取りをしている。UNVの給料は年俸3万ドルほどと言われ、発展途上国の超エリート達にとっても、「自国では決して手にすることのできない」給料である。

「国際貢献」とか言いながら、発展途上国がPKFとして自国軍を送り込んでいるのは、自国軍の給料を国連の予算で賄うためであり、いわば「口減らし」のようなものである。彼らは食事をすべて自炊あるいは営舎ですませ、ドル払いの給与はその大半を国に持ち帰る。

国際機関職員も様々だ。ある先進国(世銀)出身の暫定政府部長は、「世銀の犬」、「世銀のご用聞き」、と各国ドナーの評判は極めて悪い。「東チモールのために・・」とは言いながらも、結局は自らの出世のことばかりで、世銀プロジェクトの遂行、目標到達のみにエネルギーを使っている。今年、その甲斐あってか「異例の特進」がアナウンスされるに至り、その悪評はより一層厳しいものとなった。確かに私がつきあっている限りでも、そんな疑念を抱きたくなることが多々ある。

先日の交渉のあとで、私が彼に、「『東チモール人のために』と、よくあなたは言われるが、一度でいいから東チモール人と交渉させてほしいね」、と言ったところ、彼は明らかに「ムッとした顔」を赤らめて、「私は、ちゃんと東チモール人と話している。Mr.○○(彼の上司にあたる東チモール人大臣)には毎日報告している」、と声を荒げた。 私は思わず、「それはおまえのボスだろう・・・」と言いかけたが、やめた。

この暫定行政機構では、現在も「外国人」がほとんどの権限を握っている。その外国人の大部分は、「自国の利益」と「自分の利益」のために仕事をしている。組織のことも、東チモールのことも、たしかに考えてはいる(だろう)が、「(考えても)どうしようも(でき)ない」のである。「東チモールのために・・」は共通のテーマではあるが、誰もがそれをあきらめているようである。自分のできることしかやらない、自分が失敗しないようにする、ただそれだけなのだ。

それに対して、日本人はあくまでも真摯であり、誇り高い。世銀の対東チモール信託基金370万ドルのうち、100万ドルを日本が拠出している。日本からはそのほかに2国間援助として数十億円の援助を計画している。 実際、日本の援助に対する街角での評判は高い。「日本はいい。金は出すけど口は出さずに我々のことを尊重してくれている」。東チモール人からはこういう言葉をよく聞く。これは誇るべきことかもしれない。しかし一方で、それは「日本のプレゼンスの低さ」を顕わす言葉でもある。

さて、どうだろう?。「日本人はしたたかになるべきか、否か」

実直で優秀な日本人は素晴らしい。現場に入り、人々にとけ込み、技術を教える姿勢は他の国民や民族にまさるとも決して劣ることはない。そのことに自信を持つのならば、自らを鼓舞し、もっとしたたかに国際社会に貢献すべきなのか、それとも「鈍牛」「愚直」と言われながらも「日本(人)らしさ」を貫くのか・・・。

日本に長くいて、日本人の「良さ」を見いだしたクラーク博士は、日本を背負って立つであろう若者達に、「もっとしたたかになれ!」と言った。それは100年後の、ここ東チモールでも通用する言葉かもしれない。

しかし、「いま日本人は本当にしたたかであるべきか、否か・・」、答えは明かなようであるが、いまの私にはそれがはっきりとは言い切れないのである。

 

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