ただいま出張中 


12.ジャカルタより・・・。

情報収集のためジャカルタに出てきた。ディリを午後一に出て、途中デンパサールでトランジット5時間を過ごし、8時半にはジャカルタのホテルにチェックインした。

それにしても新鮮な感動だった、バリ・・・。これまでに何10回と行っているバリに、新鮮な感動をおぼえたのである。モノと人に溢れ、しかも東チモールに比べてウソのように物価が安い。人の表情が明るく、ほほえみに溢れている。一方、ジャカルタも相変わらず活気があって素晴らしい。日本食レストランに行ったがメニューが多すぎて選べない。女性は皆美しい。

「インドネシアは先進国じゃないの?」、と一瞬思ってしまう(決してそんなことはないのだろうが・・・)。 車を自国で生産している(たとえ組立だけだとしても・・)、飛行機会社がある。電話会社もある、電力会社もある、水供給公社もある。ビールを生産している。たばこも作っている。すべて東チモールでは「輸入」か「他人任せ」のものばかりである。電話はオーストラリアの会社、水もオーストラリア、電気は発電所が壊れかけていて、いま日本が修理中だ。東チモールがインドネシアのようになるまでどれだけの時間が必要なのだろう・・・?

それはそれとして、せっかく通信状態のいいジャカルタに来たことでもあるし、東チモールの写真を若干紹介しよう。

 

私の住む「セントラル・マリタイム・ホテル」。タイの客船で「長期滞在」で一泊80米ドルと高いが、ディリでは唯一のホテル経営のホテル。雨期に入って船が波と風に押されて岸に近づき、桟橋が船に「突き刺さり」そうになって、現在は2階の玄関からは出入りできない。1階の通用口から従業員や野菜と一緒に出入りする。配電ケーブルも切れて停電も多くなった。煙突がないが、この船は自走できない。曳航されて移動する。元はロシアの病院船。

 

私の船室から見た「丘」の様子。山は焼き畑のため「はげちょろけ」である。街には4階建て以上の建物はない。主だった建物は争乱の際に焼かれたかあるいは壊されてしまっている。家を借りると別の東チモール人が来て、「ここは私の家だ!」とクレーム言うことも多い。土地の所有・登録がキチンとされていないのである。1975年(ポルトガルから独立)以前の所有者と、インドネシア時代の所有者とインドネシア人が「逃げた」あとの所有者が一つの建物・土地の所有権を主張することもある。

ディリに向かうインドネシアのムルパティ航空機内。エアコンの吹き出し口が結露してその水が客席に落ちるため、スチュワーデスはトイレットペーパーを持って機内を歩く。ディリに向かう機内はそれなりに緊張感というか悲壮感が漂っているが、デンパサールへの「脱出便」では客席の表情は明るい。

エルメラ県での焼き畑農業。毎年違う場所の雑草、雑木焼いて焼きがらを肥料とし、トウモロコシ等を植える。焼き畑自体はエコ・システムに則った農業技術であるが、一旦バランスを崩すと森林の荒廃、保水力低下による洪水被害を招き、環境保全面から問題が多いとされている。

 

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