14.総括〜長い間お世話になりました
12月28日に帰国した。東チモールを発つ前日は、仕事でお世話になった人々が、ママサンレストランに集まってくれて、送別忘年会を開いてくれた。なんとも楽しい会だった。午前1時までやっていたらしいが、はっきり言って後半は覚えていない。車で帰ることもできず、K氏にホテルまで送ってもらった。 出発当日は、朝7時に起き、意識朦朧のなかで荷造りを開始した。空港チェックインではエクセスの領収書を巡ってトラブルがあったが、まあ、定刻に東チモールを脱出した。 バリについて「日記帳がない」ことに気が付き、ホテルに電話したがないとのこと。後に、K氏の会社から借りていたレンタカーに置き忘れていたことがわかり、DHLにて送ってもらうようにお願いした。最後の最後まで「大ボケの酔っぱらい」だったのが、いかにも私らしい・・・。 成田に着いたときは気温が2℃。東チモールとの気温差は30℃だった。成田からJICAに直行し、報告を済ませ、会社の御用納めで一杯飲んで帰札した。気温はマイナス7℃で吹雪いていた。「さ、さむい!」、しかし、身の引き締まる思いだった。 翌日は会社の仲間との忘年会で行きつけの居酒屋でしこたま飲んだ。しかし、シビアな話があって、私には辛いひとときだった。そのときの写真を見ると、楽しそうな雰囲気が伝わってきたが、朝起きたときの重苦しい気持ちはたまらなかった。夜、帰宅したときに、玄関脇の犬小屋の横に仰向けに大の字に寝そべって、眠りかけたときに次女に「お父さん、こんなところで何やってるの? ハハハ」、と「発見」されて家に入ったが、そのままだったら凍死していたかもしれないな・・・。 いつになく、帰国後もずいぶん東チモールを引っ張っている。「これほど濃い人間関係があったのは初めて」である。本当に、いい人達といい時を過ごさせていただいた。メールのアドレス帳には「東チモールのお友達」というフォルダを作った。 1月末から、カンボディアに出張する。来年1年間で3回に亘って8.5ヶ月間、カンボディアで仕事をする。しかし、「東チモール便り」はしばらくこのまま残すことにしたい。思い出しながら、少しずつ書き足していくかもしれないから・・・。 東チモールのみなさん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。心から感謝しております。今後も、末永くよろしくお願いします。
|