ただいま出張中 


2. 3ヶ月ぶりの東チモール

5月9日、インドネシアのバリ島を経由して、東チモールはコモロ空港に到着した。1年3ヶ月のJICA事務所での勤務を終えて日本に帰国したのは昨年9月のことだったが、その後、今年2月にもJICAの仕事で2週間東チモールを訪れていた。従って今回はつい3ヶ月ぶりの東チモールということになる。 

とは言え、今回ははじめての個人滞在。当然のことながら、空港到着直後から出迎えを期待することはできず、宿泊先までの足の確保、知り合いに連絡をとるための通信手段の確保など、全て自分で生活の体制整備を行わなければならない。空港からはたまたま顔見知りのNGOの人に当初の宿「サクラタワー」まで送ってもらえた。ホストファミリー宅へ移動するまでの数日間は、国連機関に勤める日本人女性の部屋に泊めてもらうことになっていた。私が東チモールに住んでいた最後の頃にこの「サクラタワー」はオープンしたのだが、ペントハウス付きの4階建てのアパートである。インドネシア時代には銀行のビルだったということだが、街中で最も高い建物で、屋上からの眺めは素晴らしい。真っ白なタイル張りの内装は多少、病室のような雰囲気があるものの、私が住んでいたコンテナハウス(4畳半のプレハブ)に比べて、なんと素晴らしい住み心地だろうか。 

 

日本人がたくさん住んでいるサクラタワー

部屋に荷物を置くと、早速街へ出てみた。日常の足は、1)知り合いに乗せてもらう、2)タクシーを使う、3)歩く、という選択がある。タクシーは、空港など一部の遠距離を除いて市内は一律1ドルとなっており(ちなみに東チモールの通貨は米ドル)、日中は数多く走っているため非常に使いやすい。しかし、今回はとにかく自分の足で街を歩いてみることを目的のひとつにしているので、早速歩いてみた。以前は車でほんの短い距離と思っていた一区画も、歩いてみると結構ある。しかも埃と強い日差しの下、決められた場所に決められた時間までに行かなくてはならないとなると、徒歩では結構きつい。だが、決められたスケジュールの一切ない、当ての無い散歩は、なかなか楽しめる。 

歩いてみて感じた街の変化は、まず車両の数が多いこと。インドネシア時代とは比べものにならないほど増えた車両が、信号がひとつも無い街中をひっきりなしに駆け巡っている。東チモールの警察官も車の交通整理はするものの、歩行者の誘導までは手が回らない。歩行者はとにかく車の流れが途切れるのを辛抱強く待ち、車の間を縫って歩くしかないのだ。2月に来たときには、外国人が明らかに減ったという印象を持ったが、独立を前にまた一時的に外国人の数が増えているように感じる。また、東チモール人の運転する車が何しろ大幅に増えているのだ。 

 

車の通りはかなり激しい。

 

それから独立を前にした建設ラッシュ。ホテルの建設、公共施設の建設、様々なイベント会場の準備・・。どうみてもあと2週間足らず先に迫った独立に間に合いそうに見えないものも多い。街全体が落ち着き無く感じられるが、少なくとも活気が感じられる。

また、ホテルやレストラン、そして店舗の増加と扱う品物の豊富さ。昨年9月の時点でも、すでに赴任した当時に比べて格段の差があったが、今回はまたさらに大きな違いを感じる。相変わらず物価は非常に高く、物によっては東京以上の値段だが、必要なものはお金さえ出せた何でも手に入るように見えた。

外国人の目に移ったディリ市内はこんな感じだが、さて、肝心の東チモール人の生活にはどんな変化が現れているのだろうか。ホームステイ先は、予定通りJICAのドライバー、アルベルトさんの家に決まった。週末に引越してから、じっくり観察してみようと思う。

5月23日アップロード

街の電気屋さん

 

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