7. なにはともあれ、独立おめでとう!
5月19日、ついに今回の滞在中最大のイベント「独立式典」の日がやってきた。スケジュールとしては午後6時からミサが始まり、9時からセレモニー、夜中12時をまわったところで独立宣言、という予定になっていた。この日ばかりは出不精の東チモール人も朝からそわそわ。何しろ会場がディリ市街から20キロほど離れたTasi
Toloというところで、いかに会場まで辿り着くかが大きな問題だった。前々から、式典当日は交通規制が敷かれるため、特別な通行パスが無い限り途中から徒歩で行かねばならないと聞いていた。また、一体どれだけの人々が押し寄せるのか誰も予想がつかないため、何はともあれ早目に出ようということになり、私たちは午後2時に出発した。 ちなみに、この日式典に出かけたのは、この私とお母さんと、あとはアルベルトさんの妹たちやその他親戚数名のみ。上の子供3人はもともとセレモニーに参加することになっていたので、早々に出かけていた。アルベルトさんは下の子供たち3人と家に残った。この時期、一家そろって出かけるのを狙った空き巣が横行するかもしれないので、家でテレビを見ながら用心しておく、とのこと。 |
炎天下で場所取りをする人々
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ついに時間通りミサが始まった時には、みんなへとへとだった。しかも・・、ミサは全てポルトガル語、会場に据えられた巨大スクリーンは一般席にいる東チモール人に向けられず、バチカンからやってきた大司教などお偉方のいる舞台側に向いている。せっかくローマ法王の代理がバチカンからわざわざ東チモールくんだりまでやってきてミサを行っても、ポルトガル語では一般の東チモール人はついていけない。一緒に祈りを唱えられないし、聖歌も一緒に歌えない。1989年にローマ法王が東チモールを訪れたときにはテトゥン語でミサをなさったそうだ。では、何故今回はポルトガル語なのだろう?単にインドネシア時代にはポルトガル語が禁止されていたから、ということなのだろうか。いくら公用語だからと言っても、せっかくの独立の感謝と喜びを住民みんなで一緒に祈れなければ、意味が無いように感じられた。3時間も炎天下で待った東チモール人たちの沈黙が、哀れに感じられた。 |
そして、いよいよミサが始まった・・・・。
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3時間も前から待って、舞台から遠く離れたスクリーンも見えない一般席にギュウギュウ詰めになっている東チモール人を尻目に、ミサが始まったあとも、IDカードを首から提げたプレス関係者や国連、NGO関係者など外国人たちが後から後から舞台前の特別席へ入って行き、落ち着かない。 一体、これは誰のためのミサなんだろう??? 長いミサが終わると、1時間あまりの休憩を挟んで少し遅れ気味で、式典がいよいよ始まった。3時間近くにわたって繰り広げられたパフォーマンスは、よく頑張りました、お上手でした、というのが正直な感想。13ディストリクトの長老らがタイスという東チモールの織物の衣装を身にまとって伝統的な儀式舞踊テベテベを披露。そして未来や希望の象徴である子供たちが明るい笑顔を振りまきながら、楽しい歌や踊りを披露した。チモール島誕生の伝説に出てくるワニの大きな仕掛けも登場した。演出はシドニーオリンピックでオープニングを担当した演出家によるものだったらしいが、まさにオリンピックのオープニングを見ているようだった。東チモールでここまでやるとは、なかなか大したものだ、と思う。しかし、「東チモールらしい」演出はもっと他にあったのではないかと思う。そして、ミサもパフォーマンスももっとコンパクトにできたのではないかと思う。みんな体力の限界を超えて、立ち上がる気力もなかった。地面に座り込んだまま最後までスクリーンをみつめているのが精一杯だった。 さて、パフォーマンスが終わるといよいよコフィーアナン国連事務総長によるスピーチだの国連旗から東チモール国旗への交換のセレモニーなどが続く。しかし、お偉方たちの外国語による長いスピーチや、もったいぶった儀式の数々は、人々を退屈させた。間延びして疲れた人々はまた座り込んでしまった。その上、12時ちょうどにカウントダウンでもして、独立を大々的に宣言するのかと思いきや、コフィーさんが長々とスピーチをしている間に12時をまわってしまった。ついに国民が待ちに待ったシャナナ・グスマン初代大統領によるスピーチも精気を欠き、一体どの瞬間が独立宣言だったのか、人々が歓喜の声をどこであげたらいいのかタイミングを計りかねているうちに式典は終わってしまった。疲れきって、埃っぽい地面に座り込んだままの独立だった。最後に中国とタイによる花火の打ち上げが行われ、人々は歓声を上げて目を輝かせた。ここでようやくこの日初めての盛り上がりを見せたのだった。だが本当はみんな「独立だー!おめでとう」と叫んで互いに抱き合う瞬間を待っていたに違いない。
今回の独立式典についての評価は様々だと思う。個人的にはちょっと冷めた感情を持った。だが一方で東チモール人はそれなりに評価しているようだ。たとえ他人から教わったものであっても、毎日遅くまで練習を重ねた結果、世界中が注目する大舞台を見事に成し遂げられた、ということが彼らの大きな自信につながったのかも知れない。歴史的イベントに参加できたことを素直に誇らしく思う気持ちもあると思う。また、ここまでの形にした人々の苦労と尽力は計り知れず、これについては本当に頭が下がる。 東チモール人の中にも、独立のために勇気を持って投票した99年のような大きな感情の高まりはあまり見られない。昨日も今日も、同じように過ぎていく。だが、東チモール人にとって大切なのは、24年間待ち望んだ「独立」の実現なのだ。それを祝う式典がどうであろうと、特別な感慨を持たずにはいられない一夜であったことに疑いはない。 とにかく、独立おめでとう!そして、これからも、一緒に歩いていきましょう。 5月23日アップロード |