ただいま出張中 

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Since April 17th, 2000 / Last Update August 25th, 2005


7.帰国します・・・

今朝は波の音で目が覚めた。
5時少し前だった。外は真っ暗・・。
シャワーを浴びて荷造りをし、6時には荷物を運び出してレストランで食事。
フルーツも豊富で自家製のパンもコーヒーも美味しく、なかなかいい朝食だった。

6時半にホテルを出てマウメレ空港へ向かった。
空港までは15分。着くとほとんどの客はチェックインを済ませゲートに入っていた。
といっても、ここもまたマーシャルの空港のように平屋のお粗末なターミナルビル。
冷房もない。
空港ではちょっとしたトラブルがあった。ま、こちらの油断もあったが預けておいた航空券9人分のうち1人分が消えてしまったのだ。

ゲートの売店で財布を買った。
10年ほど前に、クパンからウジュンパンダンに行く途中、寄港地のマウメレに寄った。
そこでイカット(インドネシアの織物)の財布を買い、海外出張用の財布としてずっと使っていたのだ。
今回もその財布を持参したが、もうボロボロだ。
そこで、今回売店で2つ購入した。

マウメレ発デンパサール行きは定刻の7時20分に出発した。
座席は「自由席」。
でも、空席が随分目立つ。
デンパサールまでは約2時間半。
フローレス島、コモド島、スンバワ島、ロンボク島の上空を通過してバリ島に迫る。
デンパサールにも定刻の10時頃到着した。

私以外の調査団メンバーは午後便を乗り継いでジャカルタに上がる。
私は今晩の夜行便でデンパサールから帰国する。
メンバーと別れ、タクシーでクタのバリ・サマホテルへと向かった。
もう、5年以上は行っていないかつての定宿だ。

約15分でホテルに着いた。
道中、まず驚いてしまったのは人通りの少なさ・・。
昨年10月の爆弾事件では23人が犠牲となったが、ここまで観光客の足が遠のいたとは・・。

ホテルに着いてチェックイン。
知っている従業員はいないと思ったが、受付にいた2人とも見覚えがあった。
そして、私の名前を呼び、「ようこそ」、と言ってくれた。
「覚えてる?」、と訊くと、
「もちろん」、と答えた。

ホテルに着いたのは10時半。それから8時までのデイユース。
一泊分を支払っても20万ルピアだからリーズナブルだ。
マンディだけのアマガラパティのホテルでも175000ルピアだったのだから・・・。
ここには立派なレストランも、インターネットカフェも、プールもあるのだ・・。

クタでは昼も夜も「Dayu II」で食事をした。
かつての「なじみの店」である。
昼は、ビールとシーフードスパゲティを食べた。
夜は、ビールにワイン、アボガドと蟹のサラダ、ミニ・ロブスターのグリル、ソト・アヤム、を注文した。

クタの街を歩いてみて、さらにその困窮ぶりに胸を打たれた。
かつての栄華の面影は全く見えない。
雨季でオフシーズンなのかも知れないが、雨はまさに涙雨。
日本食レストランは看板だけでもぬけの殻、ショッピングモールにも空きが目立つ。
もはや、「ただの田舎町」のようである。
いや、田舎町よりもずっと悪い。

通りの清掃も行き届かず、観光客よりも客引きの方が多いような状態だ。
かつて、「シャチョー、オンナ、マッサージ、ヨシワラ・・」とかいいながらずっと着いてきたポン引きまがいのお兄ちゃんもいない・・。

DAYU-IIのお兄ちゃんは私が食事をする間ずっと私の席に座って愚痴をこぼしていた。
「月給30万ルピア(約4000円)で子供が2人いるんだよ。食えないよ、客も少ないし・・。お客さん今日空港に行くとき、2万ルピアで送るよ。どう? その腕時計いいね。いくら? 100ドルくらいなら欲しいな・・」、こんな調子である。

人の命を奪い、傷つけるテロは憎むべきものだ。
そして、このバリでのテロは、外国人犠牲者の数百倍、数千倍の地元の人々の生活を圧迫している。
DAYU-IIの料理はかつてないほどに不味かった。
アボガドと蟹のサラダは、アボガドが古く傷みかけて蟹は冷凍でまだ凍っていたし、ミニ・ロブスターはあまりにも「ミニ」だった。ソト・アヤムにいたっては明らかにインスタントだった。

バリのこの惨状に接し、「しばらく来たくはないな」、と思ったし、知り合いにも勧めないと思う。
かつてのクタを一刻も早く取り戻して欲しいと思いつつ、これを機に、バリという観光地のあり方を見直すべき時だとも感じた。

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ホテルを8時に出て空港まで15分。
ラウンジでこの日記を書いている。
来たときは私一人だったラウンジも、いまは人で溢れている。
定刻は23時25分。
明朝早く成田に着く。

次にインドネシアに来るのはいつなのか・・。
 

なじみの店、DAYU-II.。通りをゆく人々もなく、かつての「栄華」が夢のよう。さびしい限り・・。

2006年1月28日