ただいま出張中 


23.その後の「三匹の子ぶた」

 

「カンボディア便り 『8. 三匹の子ぶた大作戦』  」で紹介した未亡人世帯を、半年ぶりに訪れた。「長いトンネル」のような仕事を抜けて、今日、久々に現場に出かけたのである。雨季が明け、土煙の舞う道路を駆け抜けている間、「じわ〜っ」、と湧いてくる感動・・。「ああ、やっぱり現場だなぁ・・・」

 

果たしてTa Phem村のその家に着くと、未亡人はいなかったものの、「あのときの子ぶた」は元気だった。ただし、二匹だけ・・。一匹は2ヶ月ほど前に病気で死んだそうである。

しかし、私にとっては、家族がブタを売ることもなく、しっかりと育てていてくれたことが嬉しかった。ずいぶんと大きくなっていたのである。当時、肺結核で入院jしていた娘も退院していた。今年のコメの出来は思わしくないが、みんな表情は明るかった。なによりも、私たちが訪ねたときに、両手を合わせて(これはカンボディアでは普通の挨拶であるが・・)迎えてくれたことが嬉しかった。彼らも私たちのことを覚えている。私たちも彼らのことは忘れない。

 

「単なる『自己満足』かもしれない・・」、とあのときは思った。でも、「何かの縁だ」と、子ぶたとコメを贈った。そして今日、あのとき考えたこと、したことが、決して間違ってはいなかった、と感じた。

 

私たちの国、日本の国力はたいしたものだ。下降線とはいえ経済力もすごい。

でも、カンボディアでも、東チモールでも、そしておそらくアフガニスタンでも、生きている一人一人の人間の持つ能力、魅力、愛情は、変わらず大きなものだと思う。 そして、彼らは私たちが心配するまでもなく、与えられた支援をそれなりに活かす術を知っている。また、支援をする側が学ぶことが多いのだ。展示圃場では、農業カウンターパートに野菜のことをずいぶん教わった。作業員のオッチャンの真摯さに打たれた。貧しいけれど、病気と闘いながら地道にブタを育てた未亡人世帯も立派だった。

 

自分のしてきたことやこれからできることには限りがある。また、それがどれだけの意味があるかもわからない。しかしながら、広い地球の上で、こうして同じ人と二度、三度と会い、握手をして、お互いに「ありがとう」、「こんにちわ」と笑顔で手を振って別れることの喜びをひしひしと感じた。土煙をたてて走り去る私たちの車を、彼の娘達はずっと手を振って見送ってくれ るのだ・・。

 

子ぶたは二匹になった。その二匹もやがて売られていくだろう。彼らがその金でさらにぶたの頭数を増やしていくのか、それとも明日食べるためのコメを買うのかはわからない・・・。でも、きっと、あの家族は、そしてTa Phemの村人は、「三匹の子ぶた」を連れてきたおかしな日本人のことを覚え ていることだろう。それが良かったか、悪かったかはわからない。しかし、同じ立場で相手のことを想い、そして相手が求めているものを考え、自分がその相手にできることをする(多少、的はずれはあったにせよ・・・)。その姿勢と気持ちに間違いはないし、これからも続けていかなければならないことだと思っている。

ブーかウーかフーか知らないけれど、随分大きくなりました・・。

家族も皆、元気でした。

2001年11月23日

 

 

戻る