ただいま出張中 


28.「 夢の菜園のその後」

 

その後の菜園を見にタケオに行った。

水文担当の松浦さん、私、そして私のカウンターパートのChhuy Hy氏に随行をお願いした。Chhuy Hy氏には、あらかじめ我々が行くことを農業カウンターパートのSovannaryさんに連絡をしておいてもらった。

午前10時半タケオに着いた我々は、そのまま水資源省事務所に向かった。そして、まずは気になる展示圃場の様子を見た。

 

展示圃場は非常にうまく運営されていた。我々が去った後の主な変化は以下の通りである。

 

@入り口が反対側になった。すなわち水資源気象省側のアクセスはなくなった。

Aしたがって、水資源気象省の池は利用できず、少し離れた場所にある農業省の池を利用。

Bなんと、その池から埋設パイプを引き、圃場内2カ所に散水栓を設けている。

C灌漑はじょうろではなくポンプとホースを利用。

D収穫物を順調に販売。唐辛子は高値で8,000リエル/キロ。月に10万リエル(25ドル)の売り上げがある。

 

Sovannaryさんも元気そうだった。我々が行くと、あの無口で無愛想な彼女が「How are you?」と言いながら近づいてきた・・。ちょっとおめかしもしてた。思わず握手を求めると、やはり「指三本だけの握手」だった。(彼女は手のひらを預けず、いつもひとさし指、中指、薬指の途中までしか握手に応じてくれないのである・・・。)それでも、十分気持ちは伝わった。

 

おっちゃんも、賄いのおばちゃんも元気だった。旧正月用のお菓子づくりの内職に一生懸命だった。

 

さて、圃場の経営だが、いろいろな作物を植えていることが功を奏し、ともすれば価格の不安定さに翻弄される野菜栽培が、実にバランスよく利益をもたらしている。現在は唐辛子が高値で売れ、カンクンも乾期に入って値を上げている。いま、彼らはキュウリを多く植えている。また彼らなりの「読み」があるのだろう・・。タロイモはずいぶんと大きくなった。キャッサバも、パパイヤも・・・。トマトはすべて収穫済みであったが、ナスやサラダ菜、春菊などはまだ収穫分を残していた。

 

さて、垢こすり・・・。立派に乾燥したヘチマを2本、Sovannaryさんが渡してくれた。他のヘチマは買いたがる人が多くて全部さばいたらしい。一本1ドル(4000リエル)で買っていくそうである。一番大きなヤツを僕のために取っておいてくれたのだった。

 

帰る前に、松浦さんとお金を出して、「展示圃場の看板」を作ってかけてくれるようにお願いした。名前は、「Cambodia〜Japan Friendship Demonstration Farm」(カンボディア〜日本友好展示圃場)である。野菜栽培の技術展示だけではなく、今回の調査を通じて我々が築いた友好と友情の展示でもあるのだ。

 

もう、公式にこの地を訪れる予定はない。しかし、「看板」を見る楽しみが残った。

 

でっかいヘチマとオクラの種をもらって、僕らは「夢の菜園」を後にした。

「夢」はかなえられ、もう「夢」ではなくなった。この圃場は確実に歩き出し、利益を生んでその利益で経営される。すでに彼らのものとなったのだ。

2002年2月10日

プノンペンにて

 

圃場にて。ちょっとおめかしをしたSovannaryさん(左端)。クロマーが本当によく似合う。続いておっちゃん、Chhuy Hy氏、水文担当松浦さん、Makara氏(運転手)。Sovannaryさんの向かって左側に散水栓とホースが見える。

おっちゃんから「垢こすり」用ヘチマをもらう。種はしっかりと回収されていた。そう、種は重要だ。まさにリサイクルの基本である。「Renewable Natural Resource」(更新可能自然資源)とはよく言ったものだ。オクラとヘチマの種は少しずつもらってきた。タケオ産のオクラとヘチマの第三世代を札幌と埼玉で栽培できるかどうか・・・。

ヘチマはこのままスーツケースに入れて持ち帰り、札幌で垢こすりにしよう・・。

もう一本のヘチマと松浦さん。Sovannaryさんと、普及センター管理人の娘さんは一生懸命旧正月用のお菓子づくりを手伝っていた。Sovannaryさんは日曜日なのにもかかわらず、僕たちをここで待っていてくれたのだ。本当に取っつきにくい人なんだけれど、ものすごく温かみを感じる。言葉が通じれば良かったんだけどなぁ・・。

「もっとクメール語勉強すれば良かった・・」と、今頃後悔しても遅い? 「後悔あとを絶たず」。

新たな水源となる農水省の池。ここから展示圃場までプラスティック管が埋設され、作物にはホースで灌漑される。

「マニュアルで灌漑するんだ」などと、我々が言い張ってみても、彼らは自分たちのやりいいように改良する。それでいいんじゃないかな・・。

我々が12月に去ったときにはトウモロコシが茂っていた場所には、あらたにキュウリが植えられていた。半年の間に、このプロットだけで3作目。市場価格を見ながら、連作障害も考えながら、上手に作付計画を立てている。

いつまでも、続けて欲しいこの圃場。タケオの農家に野菜栽培が少しでも普及して、わずかながらも増えた現金収入で、子供達は学校に通い、病気の人に薬が渡れば、それはこの圃場を手がけた我々の望外の喜びとなる。

 

 

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