29.「 子豚のその後」
2月10日にタケオを訪問したことは既に前報に述べたとおりだが、今回は菜園以外のタケオの懐かしい面々のその後を紹介する。
まずは、驚いたのは我々が250日に亘って滞在した「ゲストハウス」。 我々が訪問すると、「I miss you」、とオーナーの息子は飛び出してきた。 そして、我々は、敷地奥の我々のいた新館の方に行って思わず絶句した。 なんと、2階の上に建てまして、3階建てにする工事中だったのである。 「基礎は大丈夫なのか?」、「水はどうやって上げるんだ?」、とかすぐにエンジニアとしての不安に駆られたが、当のオーナーは、「そんなにお金はかかんないのよ・・」とか言って、あっけらかんとしたものだ・・。
そして、毎日通い詰めた「Apsara」レストラン・・。 我々が「桑田」と名付けた「小番頭」も、店中を自転車で走り回っていた「若旦那」も、ウェイトレスの「八代亜紀」も、み〜んな元気だった。 みな、一様に聞くのは、「いつ来たの? いつまでいるの?」、である。 「いや、全部で10日間。今日は日帰りでタケオに来たんだよ、もう帰るんだ・・」と説明すると、「な〜んだ、そうなのか・・」、と笑って言った。
子豚の未亡人も元気そうだった。 「今年のコメは?」、と訊くと、 「10サック(500キロ。精米にすると300キロ強)しか穫れなかったわ・・」 「病気はどう?」 「まあまあよ」 「豚は元気?」 「ええ、なんとか・・」
(精米300キロなど、2人分にしかすぎない。ほか6名の家族と、2頭の豚と、1匹の犬はどうやって食べていくんだろう・・?)
こんな「いつもの会話」をして、おみやげを渡した。 「じゃあ、またね、がんばって・・・」、と僕が言うと、いつものように手を合わせて礼を言い、見送ってくれた。
もうここにも来ることはないだろう・・。
あっという間のタケオ訪問だった。 2002年2月12日 プノンペンにて | |
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ゲストハウスは、3階建てになりつつあった。大丈夫なんだろうか?
それにしても、我々のもたらした経済効果は大きかったのだ・・。タケオ初の「3階建てゲストハウス」ができたのだから・・。 |
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レストラン「Apsara」の小番頭「桑田」。
似てるでしょ? |