ただいま出張中 

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Since April 17th, 2000 / Last Update March 14th, 2003


10.北の漁場2〜「釣るは易し、食うは難し」

 

 

  8月9日の「極貧釣果」にめげず、23日から24日にかけてパレパレ沖夜釣りに再挑戦した。前回の轍を踏まないように、今回は入念に準備を整え、前日は同僚のカラオケの誘いも振り切り、宿舎に戻って黙々と仕掛けづくりに励み、23日当日は12時にしっかり仕事を終わらせ、宿舎に戻って食事をとった。そして予定通り午後1時にマカッサルを出発し現地に向かった。今回は「ネズミにかじられて」ぼろぼろになったタモ(すくい網)も新しいものに買い換えた。思わぬ大物が釣れたら困るから・・。

 

 

 今回の釣行メンバーは前回と同じ。私と和風人とI川さん。途中のバルで手際よく氷を買い、現地には3時40分着。今度は船頭に責められることもない。時間通りに着いたのだから・・。

 そして4時過ぎに出航。釣り場に着いたのはまだ陽も高い、午後5時少し前だった。この日は前回にも増して風が強く、舟は揺れに揺れた。仕掛けを組み立てるほんのわずかの間にも「酔い」が回ってきて、ときどき遠くの山を眺めたりした。

 漁場について間もなく、和風人は船酔いのため釣りができず横になった。さらに、なんとも驚いたことに、この日は船頭も体調が優れないせいか釣りを放棄、横になってずっと寝込んでしまった。プライドを傷つけては申し訳ないから訊かなかったが、どう見ても「船酔い」の症状。ヘビースモーカーの彼が一切たばこを吸っていなかったから、よほど体調が悪かったのだろう。

 こうして、「頼みの綱」なしの「孤独な夜」が始まった。

 夕まずめ時はもちろん、8時になっても9時になっても一匹たりとも釣れない。それもそのはず、I川さんは船酔い気味で寝ているし、和風人も寝ている。私の隣の地元のおっちゃんも寝たきり状態。要するに自分以外「釣っている人がいない」状態。こうしたときは、「自分しか釣れない、よし、チャンスだ」、と思うこともできるが、とにかく前回の「超不漁」が記憶に新しいだけに、「このまま朝まで釣れなかったら、今度こそ丸坊主だ!」、との焦りがつのるばかりで、 「くそっ、釣れないっ!」、との独り言が何度も口をついて出た。

 

 そして午後10時半。何度か底を取り直していたとき、突然テグスに「重い」感触。

 「あぁ、また根がかりだぁ!」〈根がかりとは、釣針が岩などに引っかかってしまった状態を言う)

 一旦、根がかりすると、針が折れたり餌が取れたりするので必ず巻き上げなければいけない。手巻きの100m巻き上げは結構キツイ。

 とりあえず針を外すために、直径25センチのリール(テグス巻き)を舟のヘリに押しつけ、少しずつ巻き上げた。いつもの根がかりなら、ある程度力ずくで巻き上げていくと、突然軽くなり、針が抜けたことがわかる。

 しかし、このときは、巻いても巻いても巻ける。非常に重いのだが巻けるのだ・・。

(おかしいな。どうしてこんなに巻けるんだろう・・・?)

 

 次に、リールを床に置き、少しずつテグスをたぐり、巻き上げたとき、「釣れた」ことを確信した。釣れた場合は、ある程度引き上げてそのままにしておくと、また魚が引っ張っていくので重くなる。その繰り返しで引き上げるから、魚がかかっているかどうかはすぐにわかるのだ。

 しかし、このときはかかったときの重さに比べ楽に引き上げることができたため、そんなに大物とは思わなかった。 とはいうものの、一応船頭を起こし、サポートを頼んだ。

 

 仕掛けの天秤まで引き上げたが、どうやら魚は私の反対側に浮き上がったようで、私は見ることができなかった。すると、私の声で目を覚ました隣(反対側)のおっちゃんが、「でかいぞ、おい、手伝ってくれ!」といって慌ててタモを取った。次に寄ってきた船頭助手の兄ちゃんは、「でっかいハタだ」、と僕に教えてくれた。

 

 はたしてタモですくい上げた魚を見て、自分自身びっくり仰天。船上に転がったそのハタは、体長90センチ、推定体重12キロの超大物だったのだ。

 

 私はいつも人に説明する。「生きている魚」は本当に美しい。いつも我々がスーパーや市場で見ているのは、いわば魚の「死体」である。人間だって死体になれば「変わり果てる」ように、逆に生きている魚は本当に美しいのだ、と。

 

 根魚のハタは海底近くで棲息している。だから、釣られた瞬間はすごい勢いで引き返すが、ある程度上げられると、浮き袋をはき出して「失神状態」になり、ほとんど無抵抗のまま引き上げられる 。

 

 釣り上げたハタの写真を撮った後は、「もう今日はこれで十分」、と思って気が抜けた。

 

 結局朝7時まで釣り続けたが、ハタ以外に釣果と呼べるものはほとんどなかった。この日は私も午前1時半から4時まで仮眠した。すっかり満足してしまったからか・・。

 

 8時に陸に上がって荷物を整理し、マカッサルに向かった。途中、バルのトウモロコシ屋台で朝食代わりの茹でトウモロコシを食べ、マカッサルに着いたのは午前11時だった。

しかし、それからがまた大変だった・・・。

 

午後10時半。船上に引き上げられたハタから釣針を外す船頭。きれいな縦縞がハタの特徴である。この手のハタは市場でも超高級魚だ。輸出先の中国の料理店では、350ドル/キロの高値で出されているという。

 もっとも、インドネシアの市場では3万ルピア(400円)/キロと安いが、それでも米の値段に比べると15倍以上と、高いことには変わりない。

 翌日、浜に上がって村人に見せると、「これはデカイ。誰が釣ったの?」、と聞くので、「Saya(オレ)」と胸を張って答えた。

 

全長75センチのクーラーボックスに入りきらないハタ。この日の釣果は、このほかに私が釣った鯛、I川さんが釣ったカマス、そしてI川さんがタモですくったイカとカニ各一匹。とにかくハタだけでクーラーボックスはいっぱいになった。

宿舎に戻って皆に披露すると、皆一様に驚いた。

「こんなのがいるの?」、「どうやって上げたの?」、「ところで、この魚どうするの・・・?」

 

ふ〜〜〜〜む。困った。

魚拓用紙と魚拓絵具で魚拓を取った。初めてなので上手に取れなかったが、要するに、「こんな大きさだった」、ということを知らしめるためのものだからいいや。要は「魚のコピー」だから・・。直接コピーマシンに載せるわけにはいかないんだし、これでいいのだ。

ただ、この魚拓用紙、長さが95センチで、「ギリギリ」だった。これ以上の大物なら、紙を継ぎ足さなければいけなかった。

帰ったら、筆でサインを書いて、ハンコを押して、額にでも入れようか。そのまえに、魚拓のコピーも取らないと・・・。持ち歩いて人に自慢できないもんな・・。

 

 写真を撮って、魚拓を取って、魚を洗って一息・・。そして、次に宿舎の仲間と話したことは・・・。

「これさ、どうする? 包丁あるかね。お手伝いさんは捌けるかな・・。どうして、もう少し小ぶりのを釣らんかったの?」

 

いやぁ、だってさ・・。大きさ選びながら釣ることなんかできないんだから・・。釣ったら戻すにも戻せないんだから・・。失神状態だし、死んじゃうし・・・。

ただ途方に暮れた、しばらくの間・・。

 

とはいえ、「釣った者の責任」なんだろうな・・。

ということで、覚悟を決めて自ら捌くことにした。お手伝いさんに手伝ってもらいながら・・・。

 

いや〜、大変でした。

 

まずは道具。とにかく「3枚におろす」までは釣り道具のジャックナイフ(短刀)と中国出刃を使うことに・・。頭を切り落とすだけでもエライ大変だった。

頭を切り落とした後は、背骨に沿ってジャックナイフを入れて3枚におろした。ものすごい大きな切り身〈手前)・・。一人前100グラムとすれば100人前くらいは取れそうな切り身でした。お手伝いさんに魚を押さえてもらって必死で捌いた。間違っても自分を捌かないように気をつけながら・・。

お手伝いさんは、「こりゃ、子豚を捌くのと同じだわ・・」、と言っていた。

 

無事、切り落としたハタ君のカマ。この処分についても議論になったが、結局我が宿舎の寮長かつ焼き方担当のY寺さんがオーブンで「カマ焼き」に挑戦。5時間かけてカマ焼きができました。もう、それはそれはおいしかった。「頬肉」なんていっても子供の手のひらくらいあるし、皮は火であぶって日本酒につけて「ふぐのひれ酒」ならぬ「ハタの皮酒」にしてみたが、これまた旨かった。食卓に残ったカマの「残骸」は見事に魚のガイコツ。さすが魚好きの日本人、ハタ君も本望でしょうか・・。

ハタ君を三枚おろしにしたあと、骨のまわりに残った「最もおいしい部分」をそぎ落として造った「お刺身」。昼飯に冷やしソーメンと一緒に食べました。

とにかく「コリコリ」しておいしかった。私は捌きながら「破片」を食べまくっていたのであまり食べられなかった。もう、こんな経験はそうはできないだろうな・・。

ちなみに、写真右は茹でトウモロコシにつけて食べる「塩唐辛子」で、お刺身とは関係ない。

 

 帰国まであと3週間。もう釣りには行けないかもしれない。船頭にも、「今度来るのはいつかわからないが、来る前にあらかじめ連絡するから・・」、と伝えて帰ってきた。

 でも、個人的には十分満足。思い残すことはない。魚拓も取ったし、写真もバッチリ撮った。ただ、あまりにも大きいハタだけに、なんか「殺生」した罪悪感みたいものも若干あって、これから毎日食べるお刺身に手を合わせ、感謝していただくようにしようと思った。

 食事の前に手を合わせて「いただきます」、というのは、神様やお天道様に感謝することもあるかもしれないが、こうして命を失った植物、動物への供養の意味もあるのだろうと、ふと感じた。

 

宿舎に戻ってきて撮った記念写真。うしろで和風人が笑ってる。持ち上げるのも一苦労だった。

 

2003年8月25日