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Since April 17th, 2000 / Last Update March 14th, 2003


5.ベチャと馬のふるさとジェネポント

 

 今日は南スラウェシ州の南端にあるジェネポント県に行ってきました。ジェネポントは雨も少なく水資源に乏しい、それでいて人口密度の高い南スラウェシ州では最も貧しい県です。

 

 そして、ジェネポントはインドネシアでも殺人の多い県と言われています。しかも犯罪統計に出てこない殺人が・・。  非常に気性の荒いマカッサル人。その中心が南スラウェシ州南部です。たとえば家族の娘がよそ者の男と恋仲になって逃げたりすると、兄弟または親がどこまでも追いかけていって 娘を殺してしまうとか。独特の倫理観に基づく制裁・粛正が多いのです。

 

 5年前、私たちはジェネポントでケララ・カラロエ地区水管理改善サブ・プロジェクトを計画し、2年前にその工事・事業は完了しました。祝船雑感の「12.プロジェクトの功罪」では、このプロジェクトで改修した水路で小学生が溺死したことを書きました。そのことは国際開発ジャーナル「He Says」に掲載された拙稿(同「20.開発協力「道」に学ぶこと(国際開発ジャーナル寄稿にも引用しました。

 

 それからさらに3年たった今日、水利用者組合を2カ所ほど訪ねてきました。そのうちの下流側の水組合では、「ニッポンコーエ」という言葉を皆が知っていました。「ニッポンコーエ」という日本の会社が、20年間水の来なかった水路に水を流したんだ、と組合長は何度も言っていました。工事が終わって3年、乾期はもちろん雨期にも栽培が難しかった7000ha最末端の灌漑地区で、乾期にも作物を栽培し、すでに3回も収穫し ているのです。

(注:多少誇張あり)

 

 組合長が見せてくれた今年の作付協定には、各付けパターンや水配分のスケジュールなどが書かれており、各組合支部長の署名が書かれていました。

 また、今年は頭首工(取水堰)のゲートが壊れていてうまく取水できないので、最下流から組合員を連れて直しに行くとのことです。

 「ルールを守らずに水を横取りする人はいませんか?」、と訊くと、「いない。そういうやつはこれだ」、と組合長は首をナイフで切る仕草をしました。さすがジェネポントです。やりかねません。

 

 5年前にジェネポントで仕事をしたときは、ローカルスタッフから、「女性の写真とかあんまり撮らない方がいいですよ」、と忠告されました。「目と目を合わさない方がいい」と言う人もいました。今日もあまり女性の写真は撮りませんでした。

  ジェネポントは冒頭に書いたとおり、貧しく、人口密度が高く、しかも水が少ないので、乾期には多くの人が80キロ離れたマカッサルまで出稼ぎに行きます。「ベチャ」と呼ばれる人力車で稼ぐのです。マカッサルでベチャを拾えば9割方ジェネポント出身者と言われています。ベチャ引きのほかには、それこそサダン地区のような稲作先進地帯での刈り取り、田植えの出面さんとして、出稼ぎをする人もいます。みな、まじめでよく働くのです。

 そして、ジェネポントは名馬の産地としても有名です。役畜としての馬を国中に移出しているほか、「Coto Kuda」(Kudaは馬のこと)という、「馬のモツ煮込み」が名物となっています。

 

 5年前に水管理プロジェクトを行う際に、地元の当初の要望はダム建設でした。しかし、私たちは、「幹線水路の容量不足と堆砂、そして盗水」、というこの地区の特徴をいち早く捉え、幹線水路、二次水路の改修と三次水路の整備という緊急整備方針を 打ち出しました。そして数多の政府関係者、地元関係者を説得して、その後5年の間に20年間水の来なかった水路に水を流しました。水路を調査しながら農家に、「いいですか、この水路を流れる水はお金です。ここを今流れている水は下流の人たちのお金なんですよ。だからあなた達はこのお金をとってはいけない」、と話したものです。そして、皆が「リハビリと水管理」というコンセプトに合意してプロジェクトが実現しました。

(この話を、同僚で実家が農業を営むY寺さんに話したら、「俺がガキの頃には母ちゃんに言われて夜こっそり水路のゲートを開けに行ったぜ」と言ってました。「それに、カネが『取ってください』とばかりに置いてありゃ誰でも取るが・・」、とのことでした。同僚として恥ずかしい・・(冗談です))

 

 でも、これは私たちが「きっかけ」を作っただけです。いまは、水組合が自分たちで水利費を集め、水路を修理し、持続的に灌漑施設を管理していく、そうしたことを実際にやっているのです。誰かが思っていても、なかなか始めることはできませんが、こうした、いい意味での「外圧」を弾みとして、内的結束を高め、本来の力を発揮させるのが、「プロジェクトのマジック」でもあります。

(かなり、りきんでます)

 

 サダン地区に比べると見るからに貧しいジェネポント。でも、ニッコリ微笑みかければ、ちょっと間をおいて微笑み返す、そのはにかんだ笑顔はどこにも負けません。

 水路沿いを延々と歩き続け、夜は調査員とご飯を食べ、ベッドに横になると天井から星の見える宿の一室で蚊に悩まされながら寝た「つらい思い出」が、昨日のことのように蘇ってきました。

2003年7月12日

 

 

 カラロエ頭首工直上流に地元住民が架けた橋。雨期になると毎年流されます。右側の橋脚はすでに流されています。でも、100世帯が恩恵を受けています。毎年5万ルピア/戸を徴収。さらにバイクは一回1000ルピアを通行料として払います。馬はさすがに川を渡っています。

 橋の上にいるのはI谷君。こわくないのかね・・。

 水利組合連合ABADIの組合長のHamzaさん。かれは「カラエン(Kr.)」と呼ばれ、地元の豪族家系を継いでいます。なかには三次水路一ブロック(50ha)を持っているカラエンもい ますが、彼はほんの数ヘクタールの水田しか持っていません。ほかに商売をしているようです。

 「水を盗むやつは殺す」、と言ったときに鋭く光った目は、「本気(マジ)」のようでした。こわ。

 今日は風邪を引いて寝ているところにおじゃましました。

 幹線水路末端部。ここで3年前に小学生が溺死しました。今日も水路の中で洗濯をするおじさんがいました。用水路は単なる灌漑用水を流すためのものではなく、「生活の場」なの です。

 管理用道路もしっかり整備され、11キロ上流の頭首工まで続いています。

 現在は頭首工の排砂ゲートが故障しているため取水能力が落ちていますが、来月までには修理が終わるとのことでした。

 

 

今日、週末恒例の「カラオケ」に行ったら、ジェネポント出身のヤンティさんも席についた。ジェネポントに行ってきたことを話すと、結構盛り上がった。でも、彼女は、仕事を辞めて来週木曜日にジェネポントに帰るのだという。5年間勤めたそうだ。たしかに、5年前に店に入った頃には「いなかくさい」感じの娘だったが、今はすっかり恰幅のいい(?)女性になってしまった。ジェネポントに帰って、家業の農業を手伝うのだという。できるんだろうか?

 

日の当たらない夜の生活から、いきなりあの炎天下の農作業はキツイに違いない。それに、何よりも私が心配なのは、あの戒律の厳しいジェネポントで、マカッサルのカラオケで働いていた彼女が、たとえそのことを伏せたにしても、受け入れられ、やっていけるのだろうかということ。

 

しかし、考えてみれば、我々がジェネポントでプロジェクトを行った目的の一つは、貧困で仕事もなく、ベチャこぎや出面さんとして出稼ぎに出なければならないジェネポントの人々に、「農業」(乾期作)という就業機会と収入源をもたらすことであった。彼女自身もまた、農業を手伝うためにジェネポントに帰っていく。偶然ではあろうが、これは喜ぶべきことなのだろう。ただ、知った人間が帰る先となると、「本当に水は大丈夫か・・。食っていけるのか?」、と心配にもなってしまう。でも、それがここの人たちの生活であり、人生でもある。今一度、自分たちのやっている仕事が、そこに暮らす人々の人生に大きな影響を与えるのだということを自覚しなければいけないと感じた。(ちょっと大げさ?)

 

 

イラニにて。

向かって右側がニタさん(東カリマンタン出身)。左側がジェネポントに帰るヤンティさん。

I谷君撮影。私のほかに、I川さん、I谷君、S藤さん、Y寺さんの計5名の賑やかなカラオケになりました。閉店(2時)までいました。