22.「 夢の菜園」(その12)〜お疲れさまでした」
長らく報告が滞ってしまいました。 帰国日の今日、前回の報告からその後の「菜園」の顛末をお知らせします。
8月末に始めた「夢の菜園」も約4ヶ月の時を経て、すでに「一人前」の畑となり、毎日の収穫作業に追われるくらいになった。今ではしっかりと毎日一定の売り上げが期待できるほどになった。
タケオを後にプノンペンに上がる前日の12月17日、私はそれまでの野菜の売り上げ160ドルをカウンターパートのソバナリさんに今後の「運営資金」として渡そうとした。しかし、彼女は首を縦に振らない。やはり、彼女個人ではいろいろと難しい面があるようだ。
そこで私は彼女と農業局の局長を訪ね、展示圃場の今後の運営を依頼した。結局、私たちが展示圃場の管理人(おっちゃん)の約1年分の賃金を支払い、農業局が農業資材・支援(種子、肥料、ソバナリさんの継続指導)を分担することで話し合いがつき、今後1年間の展示圃場の道筋を確かなものとすることができた。局長によれば、再来年度分は来年中に運営予算を要求して手当できるが、来年分は無理とのことであったので、我々がそれまでの一年分を支援することとしたのである(またしても、私一人の一存で決めたことであるが・・・)。
でも、これでよかったと思う。 展示圃場は、実際に「池による灌漑」や「雨期の野菜栽培」など、「技術的効果の証明」という本来の目的を果たしただけでなく、今回の調査の「広告塔」として当地を訪れる人に我々の調査に対する理解を深め印象づけることに役だったし、なによりもカウンターパートや現地の人たちと「仕事を共有する」することの意義は大きかった。それに、自分自身の密かな楽しみ、「朝もぎのトウモロコシを食べる」ことも達成できたし・・・。
そして、来年2月に来たときには再びタケオまで行かなければならない。「間に合わなかったヘチマの垢こすり」を取りに・・・。
みんな、本当にお疲れさまでした。そして、ありがとう。 2001年12月23日 プノンペンにて | |
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再び植えたトウモロコシは、ローカル品種で、2メートルを超える背丈となった。「Field of Dreams」を彷彿させる夕焼けのトウモロコシ畑からは、本当に「シューレス・ジョー」が出てきそうだった。 | |
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12月18日の池。 11月から1ヶ月以上雨が降らず、水位も50センチくらい下がり、ひととき不安になったが、一晩の雨ですっかり満水となった。この感じだと、池の容量は全くもって十分であり、少量の魚なら育てることができそうだ。 でも、ポンプの使用はやはり避けた方がよさそうだ。ランニングコストもかかろうし、灌漑の効率も下がると思われる。 |
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12月14日。タケオでの打ち上げの夜。
前列左が展示圃場担当の農業カウンターパート、ソバナリさん。右は事務所の賄いの女性。後列左は私の手下(調査団内で実際に展示圃場の運営を取り仕切ったのは彼。今後の運営資金を得るために、彼のアイデアで、調査団員の不要となった私物をオークションにかけ、その売り上げも足しにした。)
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左からシュンギク、サラダ菜、奥にオクラ。
どれもこれもしっかりと栽培方法が定着し、ソバナリさんの指導なしに農家のおっちゃんが栽培できるようになった。残念なことに、オクラは現地の人はあまり食べない。ねばねばしたモノは嫌いなんだそうな・・。マーケットにも売っていない。でも、こんなにオクラ植えて大丈夫なのかな? プノンペンに持っていけば高く売れそうだけど・・。 |